池田綱政は、延宝2年(1673)「禁中・新院御普請お手伝」を、幕府から命じられた。家老池田大学をはじめ、家臣4,277人を派遣して、延宝2年から3年11月末までに普請を済ませた。霊元天皇は「御殿作事と新しく出来た御庭の出来栄え」は、叡慮に叶うと伝えられた。綱政は、10年後、岡山後楽園を築庭している。資料は、池田家文庫に収蔵。